ペットロスのグリーフケアやアートヒーリング

animal

大切な家族の一員の動物さんを亡くして、悲嘆のあまり、心身や体調を崩して日常生活が困難な心身の症状をペットロスといいます。みなさんにも、そういった経験をお持ちのかたはいらっしゃると思います。

いまそういった状態で辛い思いをされているかたにとって、この記事が、すこしでもなにかヒントになればと思います。

私の場合は、ちょうど一年前、大切な家族の白アヒルの女の子アイを4歳4ヶ月で亡くしました。

原因は、多産に体を変えられた産業動物、家禽が発症させやすい卵黄性腹膜炎から起きたヘルニアに起因する腸閉塞でした。

そういう動物をお迎えするということはそういう要因で短命であったりすることは頭ではわかっているつもりでした。

けれど実際に失ってしまったあと、かなりつらいロスになってしまいました。1日のうち何度も泣けてきて息が苦しくなったり、眠れなかったり、頭痛がひどくなって毎日頭痛薬を飲んでいたり、やらなければいけないことをなんとかこなしてはいましたが、それ以外の時間はずっとベットに横になっていたり、と、まるで体に大きな穴が空いてしまったような、体がほんとに半分なくなったような感覚になりました。

白アヒルのアイは、人生の大切な家族、かけがえのない親友でした。

亡くした当日も、アイの医療費のためと半日だけしていた外の仕事へ午後から向かいました。数日後にアイの火葬、葬儀をペット葬儀のところで行う予約をしていたので、その火葬の日、仕事を休む旨を仕事場の上の人に伝えなければなりませんでした。

私は、ただ、「用事があってこの日休みます」といえば良かったのに、飼っていたアヒルが亡くなって火葬するために休みますと、そのまま伝えてしまったんです。

そうしたらその人からは「え 寿命?」そういう言葉が返ってきました。

私は、当日アイを亡くして病院先からアイの亡骸を連れて帰ってきた足で午後、仕事にはちゃんといかなきゃと、なんとか向かった状態でした。

言葉を失うとはこういうことなのかと思いました。

けれどそのときは、動物と心かわすように暮らしたことのない人ならそういう反応もあるのかも とも頭でなんとか自分を納得させようとしていました。

理解してもらいたいという思いはありませんでしたが、まわりに悲しみを話す人がいないということがこんなにも孤独なのかと思いました。アイを亡くしたことの悲しみがなかなか水面に浮上せず、水の中に沈んで溺れて苦しいような感覚に似た苦しさが胸に焼き付いた感覚でした。

アヒルはペットとして飼うなら寿命は、検索すると、一般的には15-20年となっていたり、5-10年となっています。

アイは産卵できるようになってすぐ卵黄が卵管にしっかりおちず腹部にもれてしまうような症状になり腹水がたまるような症状がでていました。

アイが2歳のころ、名古屋近郊から豊橋に引っ越して、名古屋近郊ではアイの症状は腹水を抜くような処置が可能な病院しか見つけることができませんでした。家禽を診てもらえる病院は少ないのが現状で、しかたのないことでしたが、それでも、幸運にも豊橋では、手術してもらえる鳥・小動物・エキゾチックアニマル専門の病院がみつかり、手術を受けることができました。

その後、体調の波があるものの腸内細菌を整える薬や発情を抑える薬など処方していただいて治療を続けていました。

けれど4歳の夏を越すことができませんでした。

その年、2023年は鹿児島の義父の体調がおもわしくなく、愛知の豊橋から、鹿児島へ帰省する必要がありました。7月ごろからアイは食欲が落ちていき、8月のお盆の帰省には一緒に連れていけず泣く泣く主治医の先生の病院に預けて帰省しました。その間、病院で強制給餌処置していただいていたのですが、帰省後、アイを病院にお迎えに行き、お腹が鬱血していて栄養が体に行き届かず苦しそうなアイを家に連れて帰ったものの、強制給餌が私では、アイの拒否が激しく(給餌受けるほど体が苦しくなってただろうから当然だったのです)、私の強制給餌のしかたがうまくないからなのかと思い、もう一度病院に連れて行ったその翌日に、アイは亡くなりました。

アイが亡くなったあと体内の鬱血が皮下組織におりてきててやっとヘルニアによる鬱血の状態だったということがわかりました。そんな状態で帰省中待っててくれたのだと思うとアイの苦しみが解放されたんだと思うと同時にどんなに苦しかっただろうと泣き崩れる思いでした。

私が帰省から戻って病院に迎えにいくまで待っててくれたアイ、ひとり辛い思いをさせてごめん、とか、もっとはやくアイを診てもらえる病院を私が探してあげていれば とか、強制給餌なんて苦しんでいるのにしなければよかったとか、もっとお外で遊ばせてあげればよかったとか、もっとああしてればよかったこうしてれば と後悔は尽きませんでした。

それでもアイの葬儀で、ペット葬儀の係の方に、アイの生前の話を聞いていただいたり、虹色の花や夏のひまわりの花などをアイが横たわるバスケットにひとつひとつ飾ってお別れをして火葬していただいたことは、全部押し込もうとしていた悲しみが外へすこしでも出せるきっかけになり、大げさではなく、深刻なペットロスから鬱になったりすることを軽減させてくれたのではと思いました。

そしてその経験は、自分でも心の整理をするヒントになりました。

保護活動をされているアヒルネットワークさんに、アイのために買った餌のストックを寄付したり、海外のアヒルさんのために少額寄付したりしました。

それから、アイの写真が印刷されたクッションを入手したり、

Instagramにアイのヒナのころからの画像を再投稿してふりかえったり

 
 
 
 
 
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アイの写真から、自分のスマホのケースにペイントしたり

 
 
 
 
 
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そして、今年のお盆には、クッションの姿のアイも連れて、鹿児島へ義父の初盆で帰省しました。

 
 
 
 
 
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絵での表現するなかで、アイの存在を表現していくうちに、体の半分がちぎれて喪失したような感覚は、次第に、自分とアイの存在が融合するような感覚に変わっていきました。

 
 
 
 
 
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あなたの大切な存在のあの仔も、思い出というよりもっとそばにいてくれる存在になって見守っていてくれると私も思います。

大切な仔を亡くして深い喪失感の中で日々辛い気持ちをかかえる方も多くおられるでしょう。

「ペットロス」という一過性の症状のようなふうには表現できない場合もあるでしょう。

その辛い気持ち、喪失感はあなたがそれだけその仔を大切に思い、毎日かけがえのない時間をその仔と過ごしたあかしだと思います。

だから、この苦しさ、辛さを無理に越えようとしなくていいと思います。

一緒に散歩したり、ふかふかもふもふの体を抱っこしたり、一緒に笑い合ったり、間近でその仔の毎日の変化を見守ることはもうできないけれど、あなたからその仔が離れて遠くへ行ってしまったわけではないのです。

その仔はあなたの魂の一部となって生きているから。

ただそのことを実感できれば、その喪失感、悲しみはいくらか和らいで、日々抱えて生きることができる大きさになるのではないでしょうか。

少なくとも、私自身の体験では、そうでした。

その仔があなたのそばにいると感じて暮らしていく。連れて行きたかったところにその仔の写真やグッズを一緒に連れて行ってく。その仔の存在を感じられるものを抱きしめて話しかける。話しかけるのは心の中でいいんです。だってその仔にだけ伝わればいいんですから。

そうしているうちに、ほんとうに確かに自分の中に感じられるようになります。大切なあの仔を忘れられるわけはないんです。

アートは、生活の潤い という表現をされることがあります。

私にとってのアートは、もうすこし激しい感情を帯びているような気がします。大切な存在を想いをその色鮮やかなそのときのままに、また、いま存在の感じられるままに、形にする手段であり、私の言語、ライフワーク、外世界と自分の内側とつなぐ魔法のようなもの。

あるひとにとっては、産業動物、単語でしかしらない生き物であっても、アイは私に降りてきた大切な魂のしずくであることと同じなように。

アイが空へ帰って1年の節目によせて。

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